秋田県
続日本100名城(107番)
国の史跡
概要
秋田城(あきたじょう/あきたのき)は、出羽国秋田(現在の秋田県秋田市)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されており、かつての城域の一部は現在高清水公園となっている。また、秋田県護国神社も秋田城の城址に遷座したものである。
秋田城の創建は、733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称されたものと考えられている。秋田城は奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代にかけて城柵としての機能を維持したと考えられており、その間幾度か改廃が取り沙汰されたことがあったものの、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。また、秋田城の発掘調査結果からは渤海との交流を伺わせる複数の事実が指摘されており、文献史料による確たる証拠はないものの、奈良時代を通じてたびたび出羽国に来着した渤海使の受け入れが秋田城においてなされた可能性が高いと考えられている。秋田城は朝廷によって設置された城柵の中でも最北に位置するものであり、律令国家による統治の拠点として、また津軽・渡島の蝦夷との交流や渤海との外交の拠点として、重要な位置にあった。
2017年(平成29年)、続日本100名城(107番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
秋田城祉
復元された外郭東門と築地塀
正殿
出羽国の行政や宴、儀式などが行われていた
復元水洗厠舎
建物と水洗施設が機能的に整備された全国に例のない優れたトイレ遺構である
名称
- 秋田城
城郭構造
- 古代城柵
築城主
- 律令政権
主な城主
- 秋田城介
築城年
- 天平5年(733年)
遺構
- 政庁跡、東門、外郭
所在地
- 秋田県秋田市