越前槙山城
福井県の城

概要

槇山城(まきやまじょう)は、福井県福井市にある日本の城である。
文明3年7代朝倉敏景が天然の要塞一乗谷に築城した頃、西部の連峰にも砦を設けたのがこの槙山城であります。朝倉義景が滅んで柴田勝家が北ノ庄に居城し、天正11年4月の落城に至るまでこの東郷地方は勝家の支配下にありました。勝家が賤ケ岳の合戦に破れてからはこの頂上にある石碑の長谷川秀一が城主であったが病死後丹羽長昌が城主となった。その後長昌は関ケ原の戦いに破れて槇山城は滅んだのであります。城の規模は、本丸が東西に二十二間、南北十九間、二の丸は七間四方で、この南側の平地は千畳敷、馬返し、屋形等を残しております。

(出典元:現地説明版)

槇山城説明版

説明版

かつて宿場町として栄えた雰囲気を残し、今も美しい景観が保たれ風情ある町並みである
 

名称

    • 槇山城

別名

    • 東郷城

城郭構造

    • 山城

築城主

    • 朝倉正景

主な城主

    • 朝倉氏、丹羽氏、長谷川氏

築城年

    • 不明

遺構

    • 空堀、土塁、郭

所在地

    • 福井県福井市

三つ盛り木瓜

三つ盛り木瓜
朝倉氏の家紋である