富山県の城
概要
新庄城(しんじょうじょう)は、富山県富山市にある日本の城である。
新庄城跡は、富山市街地の東約4km、新庄町1丁目地内の新庄小学校の場所にあったと伝えられています。城は、北陸街道沿いの富山と水橋の中間地点、北の東岩瀬や東の大岩、南の上滝・笹津など各方面へ向かう道筋が分岐する交通の要衝ようしょうに位置した平城でした。
文献史料によれば、天文年間(1532~55)年に越中守護代神保氏配下の三輪飛騨守みわひだのかみが築城、その後神保、上杉、椎名、佐々など様々な戦国武将が居城、天正11(1583)年に落城し、その後廃城となりました。
平成25年、新庄小学校体育館改築工事に先立つ発掘調査では、伝承どおり校舎・体育館の下に城跡を確認しました。さらに、それ以前に飛鳥・白鳳時代や平安時代の集落跡、室町時代の館跡も存在していることがわかり、古くからここに人々が暮らしていたことが明らかになりました。
(出典元:富山市ホームページ)
新庄城跡
現在城跡は新庄小学校となっている
新庄城説明版
新庄城の曲輪などの大部分は削られてなくなってしまいわずかに堀などの痕跡だけが残っている
名称
- 新庄城
城郭構造
- 平城
築城主
- 三輪飛騨守
主な城主
- 神保氏、上杉氏、椎名氏、佐々氏、前田氏
築城年
- 天文年間
遺構
- 造成痕跡・堀・石組井戸・鍛冶関連遺構
所在地
- 富山県富山市
堅二引両
神保氏の家紋である