富山県の城
概要
願海寺城(がんかいじじょう)は、富山県富山市願海寺に存在した日本の城。
正確な築城年代は不明であるが、少なくとも上杉謙信に攻め落とされた天文19年(1550年)以前までは遡ることができる。越中国の国人寺崎氏の居城であり、寺崎氏が築城したと思われる。寺崎氏は畠山氏の家臣であったが、天文19年(1550年)に上杉謙信によって落とされ、当主の寺崎行重が敗死している。跡を継いだ子の盛永は謙信や越中国富山城主神保長職らとの間で巧みに立ち回った。天正6年(1578年)に謙信が死去すると織田信長方に付いたが、その数年後には信長に上杉方への帰参を疑われ、天正9年(1581年)信長の側近菅屋長頼によって攻められ落城。盛永と子の喜六郎は近江国佐和山城で切腹させられた。その後願海寺城の名が史料から見えなくなることから、落城を以って廃城となったと考えられる。
(出典元:Wikipedia)
願海寺城址説明版
富山市願海寺字舘本に所在したとされている
願海寺城祉石碑
城跡は現在石碑と説明版があるのみである
名称
- 願海寺城
城郭構造
- 平城
築城主
- 寺崎氏(推定)
主な城主
- 寺崎氏
築城年
- 天文19年(1550年)以前
遺構
- 曲輪(埋没)
所在地
- 富山県富山市