福井県・滋賀県の城
続日本100名城(140番)
国の史跡
概要
玄蕃尾城(げんばおじょう)は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にあった山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。平成11年(1999年)7月13日に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。
柳ヶ瀬山(中尾山)の尾根上に位置し、織田軍と朝倉軍が戦った刀根坂の戦いの舞台の刀根越(倉坂、久々坂ともいう)がすぐ南にある、また北国街道(現在の国道365号)を見下ろせる軍事上の要所に位置している。さらに南側の行市山には、中尾山と行市山を結ぶ軍道を整備したと伝わる勝家の家臣・佐久間玄蕃允盛政の砦があったという。賤ヶ岳の戦いの際に勝家・秀吉の両軍が布陣した山城の中でも、玄蕃尾城は空堀の深さ、土塁の高さが際立っており、また、現在においても、その遺構がよく残っている。また、定期的な草刈り整備が行われており、縄張り構造が非常によく分かる状態で維持されている。
(出典元:Wikipedia)
玄蕃尾城祉
柴田勝家の本陣が置かれた城跡である
空堀
遺構が良好な状態である
土塁と空堀
空堀の深さ土塁の高さが際立っている
名称
- 玄蕃尾城
別名
- 内中尾山城
城郭構造
- 山城
築城主
- 佐久間玄蕃允盛政、諸説あり
主な城主
- 柴田氏
築城年
- 天正10~11年(1582~1583年)、諸説あり
遺構
- 郭、空堀、土塁、小口、土橋
所在地
- 福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境
丸に二つ雁金
柴田氏の家紋である