栃木県の城
概要
御前原城(ごぜんぱらじょう)は、栃木県矢板市早川町にあった日本の城(平城)。塩谷城、塩谷故城、中村城などとも言う。正和4年(1315年)築城、正保元年(1644年)9月19日廃城。
御前原城は、川崎城とともに塩谷氏の居城として機能していたが、その時代の事績は、あまり後世に伝わっていない。これは、御前原城を居館、川崎城を詰め城とし、同じ居城でも、戦の時の御前原城は、川崎城の支城として機能していた事も理由のひとつだが、御前原城がある中村一帯が、水田適地が少なく、経済的開発に適さない土地柄であったため、御前原城周辺が発展せず、次第に居館でも別邸としての要素の方が強くなっていったため、伝わる事績が少なかったという事情もある。塩谷義綱の時代、御前原の城主は、その庶兄である義通が城代を務めていたが、御前原の城代は、代々当主に近い一族が勤めていたと考えられている。
天正18年(1590年)の小田原の役をきっかけに、塩谷氏の家臣岡本正親が独立を果たすと、その姉の子であり、正親の娘婿でもある塩谷義通も中村と木幡合わせて約1,000石の所領を以って独立し、義通は、御前原城を居城とする。慶長3年(1598年)に義通が没すると、嫡男義保が叔父であり義父でもある正親の岡本家を継いでいたため、次男の岡本保真が、塩谷惣十郎を名乗り家督を継ぎ、御前原城の城主となる。
しかし、正保元年(1644年)3月10日、泉騒動が勃発し、これにおいて保真(惣十郎)が殺害されると、この騒動のために岡本氏は改易になり、御前原城は廃城となる。
(出典元:Wikipedia)
本丸跡
現在は公園となっていて園内には当時の土塁や堀がほぼ完全な形で残っている
空堀
主郭以外の遺構はシャープの工場用地に開発されて壊滅している
石碑
御前原城入り口にある石碑である
名称
- 御前原城
別名
- 塩谷城、塩谷故城、中村城
城郭構造
- 平城
築城主
- 塩谷頼純諸説あり
主な城主
- 塩谷氏
築城年
- 治承寿永年間(1177年~1183年)諸説あり
遺構
- 主郭
所在地
- 栃木県矢板市