長崎県の城
続日本100名城(188番)
国の史跡
概要
原城(はらじょう・はるのじょう)は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である。
島原半島の南部に位置し、明応5年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。有明海に張り出した丘陵にあり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていた。
有馬氏が日向国延岡城に転封となった後の、元和2年(1616年)に松倉重政が日野江城に入城するが、一国一城令の影響もあり不便な日野江城を放棄し島原城を築城した。この際に原城も廃城となり、石垣や構築物も転用されたとされる。
寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にかけての島原の乱の後に、幕府は原城跡に残存する石塁などの破却を行っている。
1938年(昭和13年)、原城跡は国の史跡に指定された。発掘調査の際には、惨殺された一揆軍の遺骨や鉛の弾丸、クルスの他、万人坑が出土している。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(188番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
原城石垣
本丸にのみ石垣が確認されほかの曲輪は石垣を伴わない土造りとなっている
本丸門跡
本丸へと繋がる最後の門で櫓門が建てられていたとされている
空堀
島原の乱の籠城時には女性や老人子どもたちを空堀に収容し萱で覆って隠していたという
名称
- 原城
別名
- 日暮城
城郭構造
- 郭式平山城
築城主
- 有馬貴純
主な城主
- 有馬氏
築城年
- 1496年(明応5年)
遺構
- 石垣、空堀
所在地
- 長崎県南島原市
有馬瓜の一例
有馬氏の家紋例である