愛媛県の城
続日本100名城(179番)
国の史跡
概要
河後森城(かごもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城(山城)。国の史跡。
川原淵殿と呼ばれた渡辺氏が代々の居城としており、天文後期から天正年間にかけて機能した。天正8年(1580年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪っている。天正11年(1583年)の四国の役の後、戸田勝隆により芝源三郎は放逐された。その後、当地を治めた藤堂高虎は当城の天守を移築して板島城の月見櫓にしたという。慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和島藩を創立した際、付家老の桑折氏が当城に入っている。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城になったとされる。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(179番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
主殿舎
曲輪の幅いっぱいに建てられていた城主の居所である
西第十曲輪と虎口の冠木門
城内に門や建物が復元されている
堀切
西第二曲輪と西第三曲輪の間の堀切である
名称
- 河後森城
別名
- 河後森城、川後森城
城郭構造
- 山城
築城主
- 渡辺氏
主な城主
- 渡辺氏、戸田氏、桑折氏
築城年
- 伝・建久7年(1196年)
遺構
- 石垣、土塁、堀切、門(現・永昌寺山門)
所在地
- 愛媛県北宇和郡松野町