広島県の城

概要

亀居城(かめいじょう)は広島県大竹市にある日本の城跡。
1600年の関ヶ原の戦いの後に、安芸国を与えられた福島正則が長門国・周防国に減封された毛利氏への押さえとして、山陽道を城内に取り入れて造られた平山城。大竹市指定史跡。
1600年の関ヶ原の戦いの後、福島正則は安芸国へと移封され、広島城に入った。関ヶ原の戦いに敗れたとはいえ、毛利氏は長門国・周防国36万石を領し、徳川と豊臣の争いもまだ決着を見ていない不穏な状況であった。そのため毛利氏の上方への侵攻を防ぐために安芸国西部に城を造ることとなった。1603年に山陽道を押さえる要地に築城が開始され。5年もの歳月をかけて、非常に巨大な堅城として完成した。城主になる予定だった福島正則の甥・福島正宣は前年に死去しており、山田小右衛門と森佐助の両名が城代として亀居城に入った。
豊臣氏と徳川氏の軍事的衝突の危機が高まると豊臣恩顧の福島氏への徳川氏の圧力が非常に強くなり、正則は徳川氏の意向に従うこととなった。結局、亀居城は完成よりわずか3年後の1611年に破却され、その役目を終えた。天守や主要な建造物は撤去されたが、城地はそのまま荒れるに任され草木に埋もれていった。しかし1977年に発掘調査がなされ、徐々に修復が進み亀居公園として整備され、現在は桜の名所として市民に親しまれている。

(出典元:Wikipedia)

天守台

天守台

福島正則が1608年に築いた支城で現在城跡は公園として整備されている
本丸石垣

本丸石垣

城の規模は本丸をはじめ十の郭を設け北側には堀を廻らし中央に大手門・両端に櫓門を配していた
桝形虎口

桝形虎口

関ケ原合戦以後この地を治めた福島氏が防長二国を支配する毛利氏に備えるため城を築いた

名称

    • 亀居城

別名

    • 小方城

城郭構造

    • 平山城

築城主

    • 福島正則

主な城主

    • 福島氏

築城年

    • 慶長13年(1608年)

遺構

    • 天守台、曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸

所在地

    • 広島県大竹市

沢瀉

沢瀉
福島氏の家紋である