金田城
長崎県の城
国の特別史跡
続日本100名城(186番)

概要

金田城(かねだじょう/かなたのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬および美津島町箕形にまたがる城山(じょうやま)に築かれた、日本の古代山城(朝鮮式山城)である。城跡は、1982年(昭和57年)3月23日、国の特別史跡「金田城跡」に指定されている。
『日本書紀』に、「大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。
金田城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城である。667年(天智天皇6年)、高安城・屋嶋城とともに築かれた。また、金田城は、政権基盤の宮都を守る高安城、瀬戸内海の制海権を守る屋嶋城とともに、国土の領域を守る最前線の重要なポイントであった。
金田城は下対馬の北端部にあり、浅茅湾の奥で北に突出し、三方が海に囲まれた標高272メートルの城山に所在する。城壁の外周は自然地形の断崖を含めて約2.8キロメートル、城内面積は約26ヘクタールである。自然の要害を利用した選地で、外周城壁の全てが石塁で、高さ6メートルを超える石塁もある。陸続きは南西側だけで、他は急峻な地形である。国内で外郭城壁を石塁で構築しているのは、金田城・屋嶋城など少数派である。そして、韓国釜山まで約50キロメートル、隣島の壱岐まで約70キロメートル、博多まで約120キロメートルである。山頂からは北西方向に視界が開き、韓国南岸が視野にいる。
城門は、二ノ城戸・三ノ城戸・南門の三か所が開く。一ノ城戸の城門は確認されていないが、張り出した櫓と、水門が残存する。一ノ城戸に加え、二か所の張り出しがあり、南側の張り出しは「東南角石塁」と呼称する。城内の発掘調査では、五棟の掘立柱建物跡・柵列が一列・炉跡・土塁と門礎石などが確認されている。出土遺物は、羽口・鉄滓・温石と各種の土器などが出土している。

(出典元:Wikipedia)

特別史跡金田城跡

特別史跡金田城跡

金田城は浅茅湾の南側にある天然の岩塊・城山を利用して築かれたとされる古代山城である
城山山頂から浅茅湾を望む

城山山頂から浅茅湾を望む

山頂からは防人も見たであろう水平線を望むことができ気象条件によって韓国が見えることもある
国指定特別史跡金田城跡の碑

国指定特別史跡金田城跡の碑

金田城跡には小さな万里の長城のような状態で石塁が残されている

名称

    • 金田城

別名

    • 不明

城郭構造

    • 古代山城(朝鮮式山城)

築城主

    • 大和朝廷

主な城主

    • 不明

築城年

    • 天智天皇6年(667年)

遺構

    • 石塁・水門・城門・土塁・建物跡

所在地

    • 長崎県対馬市