東海四県の城
概要
明智城(あけちじょう)は、岐阜県可児市瀬田長山にあり、張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な日本の城(中世の山城)である。康永元年(1342年)美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼(下野守)が「明智」と改名してこの城を築き、その後約200年の間明智氏代々の居城として栄えた。別名長山城または明智長山城と呼ばれている。
『美濃国緒旧記』には「明智城は可児郡明智庄長山城のことである。明智城は土岐美濃守光衡により五代目にあたる頼清(民部大輔頼宗)の次男、明智次郎頼兼が康永元年三月、美濃国可児郡明智庄長山に初めて明智城を築城し、光秀の代まで居城した」とあり、光秀出生の地とされているが、明智城は恵那市明智町城山とここ可児市瀬田長山にあり、どちらが明智光秀出生の城なのか、それを裏付ける資料はない。
城址北麓にある天竜寺には 日本一大きな(184センチメートル)明智光秀の位牌と明智氏歴代の墓所があり、旧暦6月には光秀公御法要が営まれる。
(出典元:Wikipedia)
明智城大手門
長山城ともいわれ康永元年(1342)明智次郎長山下野守頼兼により開城された
明智城址
自然の地形を生かした典型的な中世の山城跡である
馬防柵
現在は遊歩道が整備されており更に登ると馬防柵が設けられている
名称
- 明智城(美濃国可児郡)
別名
- 長山城、明智長山城
城郭構造
- 連郭式山城
築城主
- 明智頼兼
主な城主
- 明智氏
築城年
- 康永元年(1342年)
遺構
- 本丸跡・曲輪・土塁
所在地
- 岐阜県可児市
桔梗紋
明智氏の家紋である