笠間城下屋敷
一茨城県の城

概要

笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市にある日本の城である。
江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。
関ヶ原合戦の一年後、慶長6年(1601)、徳川家譜代の家臣松平康重が蒲生郷成に替わって入城しました。その後藩主は、延享4年(1747)に牧野貞通が8万石で封じられるまでは、めまぐるしく入れ替わりました。
この間、正保2年に作成され、幕府に提出された正保絵図には、現在残されている曲輪の縄張りと同様の姿が描かれているため、近世城郭としての笠間城は、慶長から正保までの間にほぼ完成されていたことがうかがえます。笠間藩の政務は、山上の笠間城で行われていました。しかし、次第に日常の政務をおこなうために山を登るのは、不便だと考えられるようになります。そこで浅野家が藩主だった寛永20年(1643)に、笠間城が立地する佐白山の下の台地に藩の庁舎となる“下屋敷”が建設されました。以後、下屋敷が藩行政と藩主の生活の中心となり、山上の城は次第に象徴的な存在となっていきます。

(出典元:笠間市公式ホームページ)

史跡笠間城主下屋敷跡の碑

この周辺は佐白山麓公園となっている

大石内蔵助の銅像

大石内蔵助はここから赤穂城へ移ったといわれている

大石邸址

笠間の日動美術館の隣には大石邸址がある
 

名称

    • 笠間城

別名

    • 桂城

城郭構造

    • 山城

築城主

    • 笠間時朝

主な城主

    • 笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成、牧野氏

築城年

    • 1868年

江戸期石高

    • 笠間藩・牧野氏8万石

遺構

    • 空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓・門

所在地

    • 茨城県笠間市

牧野柏

牧野柏
牧野氏の家紋である