福井県の城
続日本100名城(139番)
概要
国吉城(くによしじょう)は、福井県美浜町佐柿にあった山城である。若狭国守護大名の武田氏重臣であった粟屋勝久が戦国時代に築き、越前国の朝倉氏の度重なる来襲に対して籠城戦などで守り抜いた。のちに、織田信長が越前攻めで国吉城に駐軍した際、長年にわたる勝久の戦いぶりを賞賛したと伝わる。
越前国と若狭国の国境である関峠を過ぎ、若狭国に入り、旧丹後街道を進んでいくと、北は天王山、南は御岳山(おたけやま)に挟まれた椿峠がある。越前から若狭に深く侵入するには、この椿峠を必ず通過する必要があるが、国吉城はまさにその軍事上の要所を抑える位置にあり、御岳山の北西尾根端の通称「城山」(標高197.3メートル)に築かれている。
もとは、常国国吉(つねくに くによし)が築いたもので、その城跡を利用して1556年(弘治2年)に粟屋勝久が改修し、築城したと言われる。勝久は1563年(永禄6年)から1569年(永禄12年)の間、毎年のように攻め寄せる越前朝倉氏の軍勢と幾度となく戦った。その壮絶な戦いぶりは「国吉城籠城戦」として『若州三方郡国吉城籠城記』などに伝わっている。
2009年(平成21年)4月に、国吉城の歴史を紹介するガイダンス施設である「若狭国吉城歴史資料館」が開館している。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(139番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
佐柿国吉城跡
戦国時代に壮絶な籠城戦を繰り広げ難攻不落の城として知られた城である
佐柿町奉行所跡
現在石垣などが残されている
国吉城址石碑
越前からの侵略を防ぐには最適の地である
名称
- 国吉城
城郭構造
- 山城
築城主
- 常国国吉、粟屋勝久
主な城主
- 粟屋勝久、木村定光
築城年
- 1556年(弘治2年)
遺構
- 曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切、館跡
所在地
- 福井県美浜町
花菱に扇
粟屋氏の家紋である