岩手県の城
続日本100名城(104番)
国の史跡
概要
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている。
中世の平山城で、主に南部氏の一族である九戸氏が居城した。正確な年は不明であるが、九戸氏が九戸城を築城し移ったのが、『系胤譜考』では7代目光政のとき、『奥南落穂集』では12代目信実の代という。また、11代目(『奥南落穂集』の代数では14代目)政実が二戸を加増されて移ったとされる説もある。
「九戸政実の乱」以後、蒲生氏郷によって改修されて南部宗家の本城となった。
西側を馬淵川、北側を白鳥川、東側を猫渕川により、三方を河川に囲まれた天然の要害で、城内は空堀によって、本丸、二の丸、三の丸、若狭館(わかさだて)、外館(とだて、石沢館とも)松の丸などの曲輪群を形成し、本丸の一部には東北最古の石垣をもつ。東北地方では有数の規模であったが江戸初期に廃城となった。
城跡は、1935年(昭和10年)6月7日、国の史跡に指定され、現在は保存整備されている。ただし、三の丸跡は大部分が市街地となっており、史跡指定対象外となっている。
(出典元:Wikipedia)
二の丸
二の丸は本丸の東と南を囲む形で築かれ周囲に土塁がある
本丸石垣
古式穴太積の石垣は東北最古の遺構である
本丸追手門跡
地形を活かし曲線的な九戸城の中に直線的に改修された福岡城の部分がある城である
名称
- 九戸城
別名
- 宮野城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 九戸氏
主な城主
- 九戸氏、南部氏
築城年
- 明応年間(1492年 - 1501年)
江戸期藩
- 南部藩
遺構
- 曲輪、石垣、堀、土塁
所在地
- 岩手県二戸市
南部鶴
南部氏の家紋である