兵庫県の城
国の指定史跡
概要
三木城(みきじょう)は、播磨国美嚢郡三木(兵庫県三木市上の丸町)にあった日本の城。平山城。釜山城や別所城とも呼ばれる。小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された。
城跡は美嚢川の南岸の台地にあり、明石の北約19km、姫路の東約31kmの地にあり、それほど肥沃の土地ではなかったが、京都-有馬は古くから整備された交通の要所(湯山街道)に築城された。
天正6年(1578年)から2年(20ヵ月)に渡って、織田方の羽柴秀吉と別所長治との間で兵糧攻め、三木合戦(三木の干殺し)を含めて、激しい攻城戦が繰り広げられたことで知られている。この三木合戦の際には神吉城(印南郡)、志方城(印南郡)、淡河城(美嚢郡)、高砂城(加古郡)、端谷城(明石郡)など東播磨各地の城が支城として別所方に従った。
本来の城郭は現在の三木市街地部分も含むものであったが、本丸周辺だけが上の丸公園として残っている。公園内には長治の辞世「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑や、城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」、そして近年立てられた長治の像がある。公園に隣接してみき歴史資料館(旧三木市立図書館)、城郭跡の下には滑原(なめら)商店街がある。
毎年5月5日には長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されている。
(出典元:Wikipedia)
別所長治公像
三木城主別所長治の騎馬武者石造である
かんかん井戸
本丸跡に残る唯一の井戸跡で石を投げると「かんかん」と音が鳴ることからその名がついたとされている
天守跡の碑
石段の横にある石碑である
名称
- 三木城
別名
- 釜山城・別所城
城郭構造
- 平山城、丘城
築城主
- 別所則治
主な城主
- 別所氏、豊臣秀吉配下武将
築城年
- 長享2年(1492年)前後
遺構
- 模擬城壁
所在地
- 兵庫県三木市
右三つ巴
別所氏の家紋である