撫養城
徳島県の城

概要

撫養城(むやじょう)は、徳島県鳴門市撫養町林崎にある日本の城跡。別名は岡崎城、林崎城。「岡崎城跡」として市指定史跡に指定されている。
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。
天正13年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。
一国一城令により、寛永15年(1638年)、廃城となった。

(出典元:Wikipedia)

撫養城天守閣

撫養城天守閣

阿波国東北の要衝にある城である
妙見神社案内板

案内板

妙見神社の境内あたりに二の丸があったとされる
撫養城祉

撫養城祉

標高約60mの山頂にあり鳴門海口を見下ろす位置にある

名称

    • 撫養城

別名

    • 岡崎城、林崎城

城郭構造

    • 平山城

築城主

    • 益田正忠

主な城主

    • 小笠原氏、益田氏、蜂須賀氏など

築城年

    • 不明

遺構

    • 曲輪、石垣

所在地

    • 徳島県鳴門市

三階菱

三階菱

三階菱

小笠原氏の家紋である