滋賀県の城
概要
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町にある羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した日本の城跡。
1582年(天正10年)の本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得したのは柴田勝家であった。勝家の甥の柴田勝豊が長浜城の守将として入城するが、同年末には勝家と対立した秀吉に攻められ、勝豊は城ごと降伏した。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が入り、6年間在城した。1586年1月18日(天正13年11月29日)には天正地震により城が全壊し、一豊の一人娘である与祢らが死亡した。
1606年(慶長11年)に内藤信成・信正が城主になるが(長浜藩)、大坂の陣後の1615年(元和元年)に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたもので、市立長浜城歴史博物館として運営されている。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたものである
説明版
長浜は秀吉が江北十二万石の領主としてはじめて自らの城を築き城下町を形成した地であると記されている
長浜城本丸跡
本丸跡に建てられた石碑である
名称
- 長浜城
別名
- 今浜城
城郭構造
- 平城
築城主
- 羽柴秀吉
主な城主
- 羽柴氏、柴田氏、山内氏(一豊系)、内藤氏(信成系)
築城年
- 天正元年、1573年
江戸期石高
- 長浜藩・内藤氏4万石
遺構
- 石垣、堀
所在地
- 滋賀県長浜市
五七桐紋
豊臣氏の家紋である