富山県の城
概要
中地山城(なかちやまじょう)は、富山県富山市にある日本の城である。
永禄年間(1558~1570)に、江馬輝盛により築城され、城代は家臣の河上富信と伝えられます。
江馬氏は、飛騨(現在の岐阜県飛騨市神岡町)を中心に勢力を有した武将で、「うれ往来」を押さえ中地山へ進出後、上杉氏に協力し越中で活動しました。
永禄12年(1569)に、江馬輝盛は常願寺川対岸の芦峅寺の池田城に在城した寺嶋氏(反上杉)をけん制するため、芦峅寺内に乱暴狼藉をしないよう記した制札せいさつ(禁令きんれい・法規などを箇条書きにして、道端や寺社の境内けいだいなどに立てた札)を下しました。
元亀三年(1572)には、加賀の一向一揆が富山城を占拠した時に、上杉謙信の富山城攻めに加わりました。江馬氏は、本拠地が飛騨という地理的特性を生かし、上杉一辺倒ではなく武田氏とも交渉を保つなど、周辺の有力者へ巧な外交を行っていました。
天正6年(1578)に上杉謙信が亡くなったのち、中地山城は、織田勢(三木・斉藤氏)の攻撃により落城し廃城となりました。
(出典元:富山市ホームページ)
中地山城祉
常願寺川に向けて張り出した広い台地を利用して造られた城である
中地山城内堀
城山を囲むように長大な内堀で守られている
中地山城跡説明版
標高は380mの高所にある
名称
- 中地山城
城郭構造
- 山城
築城主
- 江馬氏
主な城主
- 江馬氏
築城年
- 永禄年間
所在地
- 富山県富山市