青森県の城
続日本100名城(103番)
国の史跡
概要
浪岡城(なみおかじょう)は青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)である。 1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。 現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。
築城以前は、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造された。中で応仁期が有力とされる。1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城した。現在、跡地には出土した遺物などを展示する「中世の館」や土塁、堀跡などがある。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(103番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
内館
城主の居住した跡である
北館
居館跡柱が復元されている
浪岡城址碑
浪岡北畠氏は北畠親房・顕家の子孫と伝えられている
名称
- 浪岡城
城郭構造
- 平城
築城主
- 北畠顕義
主な城主
- 北畠氏(浪岡氏)
築城年
- 応仁年間
遺構
- 土塁、堀・郭跡
所在地
- 青森県青森市
笹竜胆
北畠氏の家紋である