愛媛県の城
続日本100名城(178番)
国の史跡
概要
能島城(のしまじょう)は、愛媛県今治市宮窪市にある日本の城である。
中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。このため、平時には通過する船に対して水先案内人として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。能島城には本丸、二の丸、三の丸、出丸などがあり、中世の水軍城としても規模が大きいものであった。なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、1588年(天正16年)、秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されている。
1953年(昭和28年)能島城跡の名称で国の史跡となり、1973年(昭和48年)に愛媛県教育委員会は「能島水軍の里」を設置した。その後もたびたび文化財調査等が行なわれている。
2017年(平成29年)4月6日、能島城が続日本100名城(178番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
能島城
小島全体を城郭として利用した海城である
繋船石
船を繋ぐ木柱を立てるためと推測される台座である
説明版
瀬戸内を制した戦国最強の村上海賊について記されている
名称
- 能島城
城郭構造
- 水軍城
築城主
- 村上義弘(推定)
主な城主
- 能島水軍
築城年
- 南北朝時代
遺構
- 本丸、二の丸、三の丸、出丸
所在地
- 愛媛県今治市
丸に上の字
村上氏の家紋である