福島県の城
国の史跡
概要
霊山城(りょうぜんじょう)は陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市霊山地域)にそびえる霊山の山頂付近にあった南北朝時代の日本の城。
霊山山頂には円仁創建の天台宗寺院霊山寺(現在は山麓に移転)が建立されて栄えていたが、1337年2月9日(延元2年/建武4年1月8日)に鎮守府将軍北畠顕家が広橋経泰らと図って、陸奥太守義良親王を多賀国府から霊山に移して山頂付近に「国司館」を設置、国衙機能をここに移して北朝勢力に対抗したことに由来している。顕家らは伊達行朝・結城宗広ら奥羽地方の南朝勢力と連携しながら、同年9月6日(旧暦8月11日)に親王を奉じて上洛を開始するまで拠点とした。その後も現地に残された南朝方将兵によって守備されていたが1347年(正平2年/貞和2年)に北朝方の奥州管領吉良貞家によって攻略され、その後も何度か攻防戦が行われたものの応永年間には廃城となった。
近代以後、何度か調査され、1980年(昭和55年)に大規模な発掘調査が行われた。その結果、建物の礎石跡などの遺構の他、宋銭や古瀬戸など当時の活動の後を示す物が発掘されている。
(出典元:Wikipedia)
霊山閣跡
霊山城跡には土塁や明治時代に建てられた義良親王の石碑が残り歴史に触れることができる
北畠顕家の像
霊山神社前にある銅像である
霊山城の碑
史跡および名勝霊山と記されている
名称
- 霊山城
別名
- 霊山国司城
城郭構造
- 山城
築城主
- 北畠顕家
主な城主
- 北畠氏
築城年
- 延元2年〔南朝〕/建武4年〔北朝〕(1337)
遺構
- 曲輪、土塁、竪堀、礎石遺構
所在地
- 福島県伊達市
ささりんどう
北畠氏の家紋である