三戸城
青森県の城

概要

三戸城(さんのへじょう)は日本の城の一つ。青森県三戸郡三戸町梅内にある。通称・留ヶ崎城。
三戸城跡は、三戸町の市街地ほぼ中央に位置し、馬淵川と熊原川の浸食によって形成された河岸段丘上にある連郭式山城である。両河川を天然の水堀とし、周囲より孤立した台地で、低地との比高差は約90mを測り、規模は東北から西南方向に約1.5km、北西から南東方向に約400mである。
近世の城絵図によると、城の中心に位置する大御門から東側は本丸をはじめとする城の主要部で、大手門から本丸手前までは一門や重臣の屋敷、北東側(裏手)には直臣達の屋敷、そして城下の周りにその他の家臣達が配置されている。
現在は城山公園として整備され、昭和42年(1967年)に模擬天守が築かれ「温故館」の名で歴史資料館となっている。平成元年(1989年)には山麓に綱御門が復元された。

(出典元:Wikipedia)

三戸城本丸跡説明版

三戸城本丸跡

現在は城山公園となっている
三戸城址碑

三戸城址碑

南部氏発症から800年余年の歳月を経た今日も多くの遺跡が保存されている
 

名称

    • 三戸城

別名

    • 留ヶ崎城

城郭構造

    • 連郭式山城

築城主

    • 南部晴政

主な城主

    • 南部氏

築城年

    • 永禄年間(1558年〜1570年)

遺構

    • 石垣、堀跡、土塁、枡形

所在地

    • 青森県三戸郡三戸町

南部鶴

南部鶴
南部氏の家紋である