滋賀県の城
概要
佐和山城(さわやまじょう)は、中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城(山城)である。現・佐和山城址。
坂田郡および直近の犬上郡のみならず、織豊政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点であり、16世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城したことでも知られる。
石田氏滅亡の後、徳川四天王の一人である井伊直政がこの地に封ぜられ、入城した。井伊家が、このまま佐和山城を利用すると、領民は井伊家が石田家を継承したような錯覚を抱き、領民達の前領主への思慕を断ち切ることができないことから、新たに彦根城築城を計画した。しかし、直政は築城に着手できないまま、慶長7年(1602年)に死去。計画は嫡子の直継が引き継ぐこととなり、大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用しつつ、天下普請によって彦根城を完成させている。佐和山城は慶長11年(1606年)、完成した彦根城天守に直継が移ったことにともない、廃城となった。なお、彦根城の城下町までを含めた全体の完成は元和8年(1622年)のことである。
佐和山城の建造物は彦根城へ移築されたもののほかは徹底的に城割されたため、城址には何も残っていない。しかしそれでも、石垣の一部、土塁、堀、曲輪、その他施設が一部に現存しており、また、ときとして新たに遺構が発見される。
(出典元:Wikipedia)
佐和山城跡
現在はわずかに佐和山城の看板が往時を物語るだけとなっている
佐和山城本丸跡より臨む彦根城
山頂からは琵琶湖等が一望できる
石碑
本丸には算木積みの石垣等が確認できる
名称
- 佐和山城
別名
- なし
城郭構造
- 連郭式山城
築城主
- 伝・佐保氏
主な城主
- 佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏
築城年
- 鎌倉時代
遺構
- 石垣、土塁、堀、曲輪、ほか
所在地
- 滋賀県彦根市
大一大万大吉
石田氏の家紋である