富山県の城
概要
白鳥城(しらとりじょう)は、富山県富山市吉作にある中世の日本の城。
呉羽丘陵の城山(標高145.3m)を中心に現在も郭群、空堀、井戸跡などの遺構が残る。東側に平城である富山城を見下ろす位置関係にあるが、丘陵の東側は急斜面になっているのに対し、西側はゆるやかな斜面のため、西からの攻めに対しては弱く、東方に備えて築かれた城である。したがって、東からの上杉勢に対しては富山城の詰め城の機能を果たしたが、逆に豊臣勢など西からの寄せ手に対しては相手の富山城に対する付け城ともなった。
城名は東麓に在る白鳥神社(富山市寺町)に由来するが、古くは御服山(五福山、呉福山とも)城と呼ばれた。
富山市中心部からほど近く、本丸跡は市街を眼下に立山連峰を一望できるベストスポットでもある。アクセス道路、自転車道、遊歩道も整備されており、気軽に訪れることが出来る。
(出典元:Wikipedia)
説明版
白鳥城について記されている
東出丸跡
城跡から東西の平野を見渡すことができ付近には北陸道が通るなど交通や軍事上の要衝である
白鳥城址碑
呉羽山最高峰城山山頂には豊臣秀吉が富山城主佐々成政攻めを行う拠点として築かれたとされている
名称
- 白鳥城
城郭構造
- 山城
築城主
- 神保長職
主な城主
- 神保氏、岡島氏、平野氏
築城年
- 不明
遺構
- 郭群、空堀、井戸跡
所在地
- 富山県富山市
堅二引両
神保氏の家紋である