宮城県の城
続日本100名城(105番)
概要
白石城(しろいしじょう)は、宮城県白石市にあった日本の城である。別名益岡城(枡岡とも)。
主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。かつての城は、本丸、二の丸を中心に、幾重にも外郭を備えた堅城であった。虎口のうち、大手門付近には幅が変化し、鍵の手に折れる通路など、特に工夫がみられる。
明治初頭の廃城令により廃城処分とされ、ほとんどの建物は破却された。天守閣は石垣なども撤去され更地になった。現在、三階櫓など本丸の一部が1995年に木造で復元されて現在は公園となっている。
現存する建物としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、どこの門か定かではない城門が名取市の耕龍寺山門に、煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている。
(出典元:Wikipedia)
天守閣
明治33年(1900年)に城跡が益岡公園として整備された
大手門
平成7年(1995年)に復元された
石碑
入り口にある石碑である
名称
- 白石城
別名
- 益岡城、枡岡城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 白石氏
主な城主
- 白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏
築城年
- 鎌倉時代
遺構
- 石垣、移築門、移築蔵
所在地
- 宮城県白石市
九曜
片倉氏の家紋である