下総国豊田城
茨木県の城

概要

下総国豊田城(しもうさのくにとよだじょう)は、茨城県常総市にある日本の城である。 豊田氏が下妻の多賀谷氏に滅ぼされたあと、石下地方は多賀谷氏6万石の領地となりました。しかし、慶長6年(1601)に多賀谷氏が改易となり、慶長8年(1603)江戸幕府の成立後、石下地方は幕府の直轄領や旗本知行地に組み入れられました。
そして、幕府代官伊奈備前守忠次によるヤワラ(谷原)と呼ばれた鬼怒川と小貝川に挟まれた低湿地帯、氾濫原の開発が行われ、鬼怒川・小貝川流域の新田開発が進められています。
その後、5代将軍綱吉のときに施行された元禄地方直しにより、御領(幕府直轄領)と私領(大名飛地・旗本領)の入り交じった極端な入り組支配という特色のまま、近代を迎えることとなります。
(出典元:常総市地域交流センター)

豊田城跡

豊田城跡

豊田城跡は現在地域交流センターとなっている
豊田城跡

豊田城跡

当時はカヤ葺きの居館造りで小貝川の水を引き込んだ濠や土塁により要塞化したものであったと考えられている
豊田氏略系図

豊田氏略系図

この地方を支配した桓武平氏一族の略系図である

名称

    • 下総国豊田城

別名

    • なし

城郭構造

    • 平城

築城主

    • 豊田善基

主な城主

    • 豊田氏、多賀谷氏

築城年

    • 正平年間(1346〜1370)

遺構

    • なし

所在地

    • 茨城県常総市