東海四県の城
国の史跡
続日本100名城(146番)
概要
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)である。諏訪之原城とも書く。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。『家忠日記』には牧野城のほか牧野原城とも記載。東照宮御実紀(徳川実紀)に、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載。
現在は建築物は残っていないものの、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上で貴重なものとなっている。国の史跡に指定されている。
天正10年(1582年)3月、武田氏が滅亡すると牧野城の存在意義が薄れ、天正18年(1590年)に廃城となった。
明治維新を迎えると、元将軍の徳川慶喜が駿府に配されると慶喜を慕って随従した旧幕臣たちが、自活のために荒廃していた牧野城周辺に移住して開墾し主に茶畑とした。現在も城址一帯は茶畑となっているが、比較的保存状態が良く、大掛かりな堀や曲輪などが残っている。
昭和29年(1954年)1月30日、城跡の一部が静岡県の史跡に指定され、発掘調査を経て昭和50年(1975年)11月25日には国の史跡に指定、平成14年(2002年)12月19日には一部区域が追加指定を受けている。現在の史跡指定地は、南北約580m、東西約1,450m、約11万3千m2に及んでいる。
平成29年(2017年)4月6日、「続日本100名城」(146番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
惣曲輪跡
甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀が現存する
国指定史跡諏訪原城跡看板
武田勝頼・徳川家康時代の堀・丸馬出が良好な形で現存し国の史跡に指定されている
諏訪原城跡の碑
諏訪の国境に位置し武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城である
名称
- 諏訪原城
別名
- 牧野城、牧野原城、扇城
城郭構造
- 山城
築城主
- 馬場信春?
主な城主
- 武田氏、今福氏、今川氏、深溝松平家など
築城年
- 天正元年(1573年)
遺構
- 土塁、曲輪、堀、馬出、井戸など
所在地
- 静岡県島田市
武田菱
武田氏の家紋である