菖蒲城
埼玉県の城

概要

菖蒲城(しょうぶじょう)は、武蔵国埼玉郡新堀村(現在の埼玉県久喜市菖蒲町新堀)にあった日本の城。古河公方足利成氏が、康正2年(1456年)に金田式部則綱に命じて築城させた。城の竣工が5月5日の菖蒲の節句にであったために命名された。天正18年(1590年)小田原征伐ののち廃城となり、以降は徳川家康に仕えた内藤正成が栢間陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて5700石を知行し、上級旗本として14代、幕末まで同地を治めた。

(出典元:Wikipedia)

菖蒲城祉

菖蒲城祉

現在は菖蒲城祉あやめ園として整備されている
旗本内藤家栢間陣屋裏門

旗本内藤家栢間陣屋裏門

1998年に菖蒲園の入り口に移築された
菖蒲城の碑

菖蒲城の碑

城の面影はなく石碑があるのみである

名称

    • 菖蒲城

別名

    • なし

城郭構造

    • 平城

築城主

    • 金田則綱

主な城主

    • 金田氏

築城年

    • 康正2年(1456年)

遺構

    • 移築陣屋門、堀、土塁

所在地

    • 埼玉県久喜市