広島県の城

概要

大可島城(たいがしまじょう)は、広島県福山市にある日本の城である。
戦国時代、村上水軍の一族が大可島城を拠点に海上交通の要所である鞆の裏一帯の海上権をにぎっていました。
康永元年(1342年)、伊予の南朝軍は西国に勢力をのばそうとして、新田義貞の弟脇屋義助を大将として迎えたが病死したため、北朝軍に伊予川之江城を攻められ苦境に立った。南朝軍は金谷経氏を大将として土居、得能氏らが川之江に援助に向ったが、途中北朝側の備後勢と燧灘で遭遇し大合戦となり、折からの風で鞆方向に流された。そこで鞆を攻撃し占領、大可島を詰城として拠点を構えた。これに対して北朝側は鞆の小松寺に陣し、激戦十余日に及んだが、南朝軍は本拠川之江城危うしの報に、備後服部の桑原重信を残し伊予に引き返した。北軍は桑原氏を滅ぼし鞆は再び北朝側に帰した。世にいう鞆合戦の城跡で、城地にある石塔は桑原一族の墓と伝えられている。
南北朝の古戦場で慶長年間(1600年頃)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました。

(出典元:福山市ホームページ)

大可島城跡

大可島城跡

大可島城跡は現在円福寺が建立されている

城址遠景

城址遠景

瀬戸の島々や四国の讃岐山脈を遠望できる
大可島城説明版

大可島城説明版

大可島城の歴史について記されている

名称

    • 大可島城

城郭構造

    • 水軍城

築城主

    • 不明

主な城主

    • 足利氏、村上氏

築城年

    • 康永元年(1342年)

所在地

    • 広島県福山市

丸に上の字

丸に上の字
村上氏の家紋である