東海四県の城
概要
竹中氏陣屋(たけなかしじんや)は、岐阜県不破郡垂井町(美濃国不破郡岩手)にあった江戸時代の陣屋。安土桃山時代には岩手城と呼ばれていたが、江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため、城は陣屋と呼ばれるようになった。別名、竹中陣屋、岩手陣屋。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師(参謀)であった竹中重治の子である竹中重門が築いたものであるが、敷地を囲む大規模な堀(水堀など)と石垣などがあり、陣屋というより小型の城と言ったほうが正しい。
元々、竹中氏の居城は堅固な山城である菩提山城(岩手山城)であったが、平時には不便なことから、麓に岩手城を築いたという。
現在その跡地は岩手小学校と民有地となっているが、白壁の櫓門、水堀の一部分、石垣の一部分が残っている。また入り口付近に竹中重治の像が建てられている。わかりにくいが、櫓門から北側へも道沿いの家の裏手に土塁が続いていて、岩手小学校裏、西側へと続いている。
1956年(昭和31年)に、岐阜県指定史跡となっている。
(出典元:Wikipedia)
竹中氏陣屋跡櫓門
櫓門・濠・石垣及び土塁が往時の面影を残している
竹中半兵衛重治
重治公について記されている
竹中重治の像
現在跡地には重治公の像が建てられている
名称
- 竹中氏陣屋
別名
- 岩手城、竹中陣屋、岩手陣屋
城郭構造
- 陣屋
築城主
- 竹中重門
主な城主
- 竹中氏
築城年
- 1588年
遺構
- 現存櫓門・石垣・堀
所在地
- 岐阜県不破郡垂井町
丸に九枚笹
竹中氏の家紋である