東海四県の城
概要
犬居城(いぬいじょう)は、静岡県浜松市に存在した日本の城。
承久の乱後、山香庄(現在の北遠一帯)の地頭となった天野氏の戦国時代の本拠地が犬居城です。
天野遠景を祖とする天野氏は、室町期以降国人領主となり、犬居城を拠点として勢力を伸ばしていきました。文亀元年(1501)前後に今川氏配下となった後は、北遠江一円を支配していました。
永禄三年(1560)桶狭間に今川義元が倒れ、遠江支配が揺らぎ始めると、武田・松平の両氏が遠江支配を狙い始めます。武田領に接していた天野氏は、一時松平氏(徳川家康)に従属するも、遠江侵略を狙う武田氏になびいていきました。
こうして天野氏は武田氏配下となり、元亀三年(1572)に武田信玄が大軍を率いて信遠国境を越え遠江へ侵入した際には、犬居城主・天野藤秀が武田軍を先導しました。天野氏が武田氏配下となったことにより、その居城である犬居城は大幅な改修を受けています。馬出曲輪の前面を取り囲むように設けられた空堀や、二の曲輪の北側を取り巻く横堀に、武田流建築法の特徴を見ることができます。
現在、犬居城跡は静岡県の史跡として指定されています。また代々犬居城主をつとめた天野氏の墓所が瑞雲院境内に移設されており、浜松市指定史跡「瑞雲院境内」の附指定となっています。
(出典元:浜松市文化財情報)
犬居城跡
大規模な堀と土塁の様子が確認できる
犬居城案内板
尾根の最高所が鐘打山山頂(標高290m)でそこから東に向かって城の施設がつくられている
名称
- 遠江犬居城
別名
- 乾城、鐘掛城、鞍掛城
城郭構造
- 山城
築城主
- 不明
主な城主
- 天野氏
築城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀、土橋
所在地
- 静岡県浜松市