東海四県の城
概要
小山城(こやまじょう)は、遠江国(現在の静岡県榛原郡吉田町)にかつてあった日本の城である。
小山城築城は大井川西方の防衛ラインを形成し、武田方にとって高天神城攻略の為の拠点となった。これにより信玄は三河にて足助、田代、二連木を取ったとされる。
信玄の病死後には、子の武田勝頼が跡を継ぎ、東海道の金谷原に諏訪原城を築城し、高天神城攻めの足掛かりとした。しかし、新兵器・鉄砲の登場により、武田の騎馬隊は長篠の戦いに敗退、諏訪原城も落城し、残兵が逃げ帰った先が小山城であった。小山城は堅牢であったため、高天神城への補給路の要となったが、徳川軍は城の南方にある吉田田んぼの青田刈りを行って、食糧攻めを行った。1581年(天正9年)、武田の牙城である高天神城が下ると、1582年(天正10年)2月、戦況をみた兵たちは城を捨て、小山城は落城した。
(出典元:Wikipedia)
小山城
5階は展望台となっており晴天時には南アルプス連峰や伊豆半島御前崎の海岸線駿河湾までもが遠望できる
小山城跡標柱
現在三重堀などの遺跡や展望台小山城内の武田氏のゆかりの品々が当時の面影を偲ばせている
三日月堀
甲州流築城術の特徴である丸馬出し・三日月堀を持つ城である
名称
- 小山城
別名
- 吉田城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 馬場信春
主な城主
- 大熊氏
築城年
- 元亀2年(1571年)
遺構
- 土塁、曲輪、堀、馬出し
所在地
- 静岡県榛原郡吉田町
武田菱
武田氏の家紋である