鶴牧城
千葉県の城

概要

鶴牧城(つるまきじょう)は、千葉県市原市にある日本の城である。
安房国北条藩主であった水野忠韶は文政10年(1827年)5月19日、上総国市原・望陀両郡に移封されたことから、鶴牧藩が立藩した。忠韶は市原郡椎津村1万7,000坪の城地に陣屋を建設する。城主格の大名であったことから、この陣屋は鶴牧城(鶴牧陣屋)と名づけられた。しかし忠韶は翌年5月27日に68歳で死去し、後を養嗣子の水野忠実(酒井忠徳の次男)が継いだ。忠実は奏者番・西の丸若年寄などを歴任し、藩政においては藩財政再建のために倹約などの諸政策を講じたが、あまり効果はなかった。天保13年(1842年)1月19日に忠実は死去し、後を嫡男の水野忠順が継いだ。明治元年(1868年)4月、戊辰戦争のときに鶴牧藩内の市原郡五井村で五井村戦争が起こる。この不手際から同年10月、安房国長狭や上総国夷隅・市原・埴生・長柄・山辺などの所領を上知され、代わって上総国市原・望陀両郡に新たな所領を与えられた。翌年の版籍奉還で忠順は藩知事となった。そして忠順は官制・軍制改革を主とした藩政改革を行なったが、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で鶴牧藩は廃藩となった。

(出典元:Wikipedia鶴牧藩)

鶴巻城址の標柱

鶴巻城址の標柱

鶴巻藩陣屋跡は現在姉崎小学校になっている
鶴巻藩修来館の碑

鶴巻藩修来館の碑

姉崎小学校正門すぐのところにある石碑である 

名称

    • 鶴牧城

別名

    • 鶴牧陣屋

城郭構造

    • 陣屋

築城主

    • 水野忠韶

主な城主

    • 水野氏

築城年

    • 文政10年(1827年)

江戸期石高

    • 鶴牧藩・水野氏1万5千石

遺構

    • なし

所在地

    • 千葉県市原市

沢瀉

沢瀉
水野氏の家紋例である