長崎県の城
国の史跡
概要
清水山城(しみずやまじょう)は、安土桃山時代に現在の長崎県対馬市厳原町西里の清水山(標高206m)に築かれた城である。国の史跡に指定されている。
豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際して本陣の名護屋城から朝鮮への経由地となる壱岐と対馬に兵站基地となる城を築くことを命じ、厳原の西にある清水山上に毛利高政によって築城されたと伝えられている。
現在は一部の石垣のみが残されており、山麓の厳原市街地からも見ることができる。
(出典元:Wikipedia)
旧日新館門
江戸末期における大名家の格式を構えた武家屋敷の遺構である
藩校日新館門
もと津島藩主宗氏の中屋敷門であったが幕末には藩校日新館に用いられていた
清水山城跡
清水山城は出兵の一大拠点であった肥前名護屋城から壱岐・勝本城・朝鮮半島・釜山につながる重要な軍事的中継点であった
名称
- 対馬清水山城
別名
- 不明
城郭構造
- 山城
築城主
- 宗義智
主な城主
- 宗氏
築城年
- 1591年(天正19年)頃
江戸期石高
- 〇藩・〇氏〇万石
遺構
- 石垣、枡形虎口
所在地
- 長崎県五島市
隅立て四つ目
隅立て四つ目
宗氏の家紋例である