奈良県の城
概要
大和・十市城(やまととおいちじょう)は奈良県橿原市にある日本の城である。
この遺跡は、北の磯城郡田原本町(しきぐんたわらもとちょう)と隣接した市の北東にあたり、寺川右岸の自然堤防上に位置しています。筒井城(大和郡山市)と同様に中世大和における典型的な平城で、十市氏が鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城しました。城は、十市町旧集落北部の一辺約70m四方の微高地(比高差約1m)があり、これを中心部分(主郭)として広がっていたものと思われます。その規模は、微高地の周りに遺存する「唐堀・古市場・大門・的場・下殿口・中殿内」などの小字名や地割などから東西550m・南北430mと推定できます。
十市氏の出自は不詳であるが、南北朝期(14世紀)に興福寺(奈良市)大乗院の国民(十市庄荘官)として初めて現われます。1347年(貞和3)の興福寺造営段米幵田数帳(こうふくじぞうえいたんまいならびにでんすうちょう、春日神社文書)に、十市新次郎入道が十市小垣内(おがいと)・常磐庄を配したことが記されています。その後、永享の乱(1438年)以来筒井党に加わり成力を拡大し、室町時代末期・天文年間(1532~1555年)の遠忠(とうただ)の代に最盛期を迎えることとなり、壮大な山城である龍王山(りゅうおうざん)城(天理市)をも築きました。
これ以後は、幾多の戦乱に参加しているが、1575年(天正3)に織田信長の配下となりました。また、ルイス・フロイスが記した「日本史」によれば、1555年(永禄8)に宣教師のルイス・デ・アルメイダは、十市城主を「サンチョ=イシバシ殿」と報告しています。
(出典元:かしはら探訪ナビ)
十市城石碑
現地には田園の中に城石碑があるだけである
名称
- 大和・十市城
別名
- 十市平城
城郭構造
- 平城
築城主
- 十市遠忠
主な城主
- 十市氏
築城年
- 不明
遺構
- なし
所在地
- 奈良県橿原市