鳥取県の城
国の史跡
続日本100名城(169番)
概要
米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城。久米城、湊山城ともいう。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁であった。城跡は国の史跡に指定されている。
戦国時代の飯山にあった米子城(飯山城)についても併記する。
米子城には、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭がある。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支城となった。
戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったという。
江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された。
ただし、飯山と湊山が別の山と認識されたのは後世の話で、中世には1つの山に付けられた別名が「飯山」「湊山」であったとする考えもある。
(出典元:Wikipedia)
鉄御門跡
城の建物は残っていないが石垣や磁石が形態をよくとどめている
天守閣跡
この場所に四重の天守があったといわれている
米子城跡
城山麓の頂上から望む景観は絶景である
名称
- 米子城
別名
- 久米城、湊山金城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 山名氏か?
主な城主
- 山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
築城年
- 文明2年(1470年)頃
江戸期石高
- 米子藩・中村氏17万5000石
遺構
- 石垣
所在地
- 鳥取県米子市