概要
関宿城(せきやどじょう)は、千葉県野田市にある日本の城である。
室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降から簗田氏の嫡流の関宿簗田家の居城になったと伝わる。江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれた。
江戸川をさえぎるような縄張りを持っていた。利根川水系等の要地であり、関東の水運を押さえる拠点であった。
戦国時代には関東の中心部における最重要拠点であった。関東の制圧を目論む北条氏康は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評した。
戦国時代末期には、北条方と上杉方の間で激しい争奪戦が繰り広げられた(関宿合戦)。北条氏康・氏政・氏照父子が、上杉謙信・佐竹義重の援助を受けた簗田晴助の守る関宿城を、3度に渡り攻撃。最終的には北条氏がこれを制し、北関東進出の拠点とした。
建造物としては(譜代大名クラスの城によくある事例だが)「御三階櫓」と呼ばれる天守状の櫓が代用として建築され、1671年に再建された際には江戸城の富士見櫓を模して再建されたという。現在千葉県立関宿城博物館に御三階櫓を模した模擬櫓があるが、この模擬櫓は1995年に建てられたもので、城跡とは無関係な場所に建てられている。藩政時代に御三階櫓が築かれた場所は河川改修により旧状をとどめていない。
河川改修および圃場整備のため遺構の保存状態は良くない。建造物に関しては、埋門と大手門と伝わる門が市内に、関宿城の城門と伝わる薬医門が逆井城に、それぞれ移築され現存する。
また、市内関宿台町にある元藩主久世家の菩提寺である実相寺の客殿は、文久2年(1862年)に坂下門外の変、また公武合体(または外交方針である航海遠略策)の失敗などの責任を問われ、失脚した前老中の久世広周が謹慎した関宿城本丸新御殿の一部を明治4年(1871年)に移築したものと伝わり、市の名所となっている。
模擬櫓
千葉県立関宿城博物館
関宿城跡石碑
名称
- 関宿城
別名
- 〇〇城
城郭構造
- 平城
築城主
- 簗田満助か
主な城主
- 簗田氏、後北条氏、松平氏、小笠原氏、牧野氏、久世氏
築城年
- 室町時代
江戸期石高
- 関宿藩・牧野氏7万3000石
遺構
- 移築城門・御殿
所在地
- 千葉県野田市