一万石以上の城
概要
刈谷城(かりやじょう)は、愛知県刈谷市にある日本の城である。
正しくは「刈屋城」であるが、刈谷市が1950年(昭和25年)4月以降に市制施行してから、「刈谷」という表記がされるようになった。
寛永9年(1632年)に深溝松平家入城、その後久松松平家(1649年)、稲垣氏3代(1651年)、阿部氏2代(1702年)、本多氏(忠勝系、1710年)、三浦氏3代(1712年)と頻繁に城主の交代があった。(城主の詳細については刈谷藩を参照)1747年より土井氏が入封し9代の支配の後、明治4年(1871年)の廃藩を迎え、城は破却された。
明治時代以後城域地は国有化された後、旧士族に払い下げられた。さらに昭和11年(1936年)刈谷町が譲り受け公園として整備されたが戦時中には軍の高射砲陣地が置かれ老松は切り払われ荒廃した。 戦後に至り徐々に植栽・公園整備され現在は桜の名所となっている。また旧三の丸には藩校文礼館の流れを汲む刈谷市立亀城小学校および刈谷市郷土資料館(国の登録有形文化財)が建つ。 隅櫓や石垣、城門を復元する再整備計画があり、2018年度に刈谷市歴史博物館、2020年度以降に隅櫓や石垣の完成が予定されている。
(出典元:Wikipedia)
刈谷城址碑
公園整備され現在は桜の名所となっている
亀城公園石碑
城と公園の沿革が記されている
水堀
刈谷市歴史博物館を建設中とのこと
名称
- 刈谷城
別名
- 亀城
城郭構造
- 平城
築城主
- 水野忠政
主な城主
- 水野氏
築城年
- 1533年
江戸期石高
- 刈谷藩・本多氏5万石
遺構
- 辰巳櫓、土塁、水堀、曲輪、石碑
所在地
- 愛知県刈谷市
沢瀉
水野氏の家紋である