一万石以上の城
山形県指定有形文化財
概要
松山城(まつやまじょう)、別名・松嶺城は、山形県酒田市にある日本の城である。
江戸時代には、庄内藩の支藩松山藩の藩庁が置かれた。明治以降は松嶺城(まつみねじょう)とも呼ばれるようになった。
初代藩主酒井忠恒に、庄内藩2代藩主酒井忠当より領内の飽海郡中山村が分与されて中山陣屋が構えられた。後に、中山を松山と改め、松山陣屋といった。松山城は天明元年(1781年)に松山藩第3代藩主酒井忠休によって築城が始められ、それまでの中山館より移り、7年の歳月をかけて一応の完成をみた。宝暦10年(1760年)忠休は西の丸若年寄となり、5千石加増され格式も城主になった。
戊辰戦争では、宗家の鶴岡藩と行動を共にして奥羽越列藩同盟に加わり、官軍と戦うこととなった。廃藩後大手門を除き、建物は取り壊された。
(出典元:Wikipedia)
大手門
酒田の豪商本間重利が寛永4年(1792年)に寄進して再建されたものである
公園入口の門
城跡は現在松山町歴史公園となっている
本丸御殿跡
本丸には中山陣屋から移築した御殿があったという
名称
- 松山城(出羽国)
別名
- 松嶺城
城郭構造
- 平城
築城主
- 酒井忠休
主な城主
- 酒井氏
築城年
- 天明元年(1781年)施工開始
藩
- 松山藩(庄内藩支藩)
遺構
- 大手門、土塁、堀
所在地
- 山形県酒田市
片喰の例
酒井氏の家紋例である