一万石以上の城
概要
飯田城(いいだじょう)は、長野県飯田市にある日本の城である。
江戸時代には飯田藩の藩庁が置かれた。
13世紀初めに飯田で勢力を持つようになった坂西(ばんざい)氏により築かれたといわれる。天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡、信濃伊那郡は織田家臣・毛利長秀に与えられ、長秀は飯田城を拠点に伊那郡支配を行う。同年6月の本能寺の変により発生した天正壬午の乱を経て、三河国の徳川家康の支援を得た下条頼安が飯田城を掌握し、後に菅沼定利が入城した。徳川勢の関東移封後には、再び毛利秀頼が入り、その娘婿の京極高知に継承され、この頃に近世城郭としての姿が整えられた。江戸時代になると小笠原氏1代、脇坂氏2代と続き、寛文12(1642年)堀親昌が2万石で下野烏山より入封し、以後明治維新まで飯田城に居を構えた。
(出典元:Wikipedia)
甲子碑
わかりやすい遺構はあまり遺っていない
長姫神社
嘉永3年(1850年)に当時の飯田城主堀親義によって飯田城山伏丸の宝蔵に移し安置された
飯田城本丸址案内板
飯田城の由来が書かれている
名称
- 飯田城
別名
- 長姫城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 坂西氏
主な城主
- 秋山氏、毛利氏、京極氏、小笠原氏、脇坂氏
築城年
- 不明
江戸期石高
- 飯田藩・脇坂氏5万5千石
遺構
- 石塁、空堀、土塁
所在地
- 長野県飯田市
隅立て一つ目
堀氏の家紋である