岩槻城
一万石以上の城
県指定史跡

概要

岩槻城(いわつきじょう)は、埼玉県さいたま市にある日本の城である。
武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁。
北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入ると、徳川家の譜代家臣の高力清長が2万石で岩槻城に入った。以後、青山氏・阿部氏・板倉氏・戸田氏・藤井松平氏・小笠原氏・永井氏ら譜代大名の居城となった。江戸中期に徳川家重の側用人大岡忠光(大岡忠相の遠縁)が入り、藩主が固定。廃藩置県まで大岡氏の居城となった。 天守は無かったが天守代用の櫓として本丸に二層二階の瓦櫓があり、他に杮葺二層二階の二重櫓と同じく杮葺の一層一階の櫛形櫓が本丸に存在した。

(出典元:Wikipedia)

岩槻城黒門

城址公園に黒門と裏門が移築され残っている

裏門

岩槻城の裏門と伝えられているが詳細については不明である

白鶴城址碑

別名として白鶴城と呼ばれていた

名称

    • 岩槻城

別名

    • 岩付城、岩附城、白鶴城、浮城

城郭構造

    • 総曲輪式平城

築城主

    • 成田正等

主な城主

    • 成田氏、太田氏、後北条氏、大岡氏など

築城年

    • 1478年

江戸期石高

    • 岩槻藩・阿部氏9万9000石

遺構

    • 現存門、土塁、曲輪、空堀、土橋、馬出し

所在地

    • 埼玉県さいたま市

大岡七宝

大岡七宝
大岡氏の家紋である