水口城
一万石以上の城
滋賀県史跡

概要

水口城(みなくちじょう)は、滋賀県甲賀市にある日本の城である。
1682年(天和2年)に加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した。それまで、幕府お抱えの宿館として城番をおいて管理していたが、水口城は同氏の居城となった。鳥居氏が一時藩主となったが、再び加藤氏が2万5千石で藩主となった。歴代水口藩は、同城を幕府から借りている城として大切に管理し、特に居城であるにもかかわらず、本丸部の御殿を使用しなかった(藩の行政諸々は二の丸で行った)。本丸御殿は家光上洛以後使われることなく正徳年間に解体。本丸は空き地のまま使用されることなく、明治維新を迎え、水口城は廃城となった。

(出典元:Wikipedia)

出丸御矢倉(櫓)

水口城資料館となっている

模擬高麗門

明治時代に入り城は解体され廃城となった

史跡水口城跡石碑

石田三成が初めて城主となった水口城は別の場所にある

名称

    • 水口城

別名

    • 碧水城

城郭構造

    • 梯郭式平城

築城主

    • 徳川家光

主な城主

    • 加藤氏

築城年

    • 1634年

江戸期石高

    • 水口藩・加藤氏2万5000石

遺構

    • 石垣、堀

所在地

    • 滋賀県甲賀市

藤門の一例

下り藤
加藤氏の家紋例である