一万石以上の城
概要
日出城(ひじじょう)は、大分県速見郡日出町にある日本の城である。
江戸時代を通して、木下氏が居城した。明治初期の府藩県三治制下において日出藩の藩庁が置かれた。
現在残る日出城は1601年から1602年(慶長7年)8月に日出藩の初代藩主木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援を受けて築城した。細川忠興が縄張りを行い、木下氏家臣の穴太理右衛門(「穴太衆」参照)が野良積みの技法で石垣を構築した。築城の際の人柱伝説が残る。
別名「暘谷城」と呼ばれるがこれは、3代藩主の木下俊長が 中国の古書、『淮南子』から引用して名づけたと伝えられる。
1874年(明治7年)の廃城令において廃城処分となり建物は競売にかけられた。本丸に開校した暘谷学舎(現在の日出小学校の前身)の建物に利用された望海櫓と鬼門櫓(後述)を除いて建物は破却や移転によって撤去された。そののち、1921年(大正10年)日出尋常小学校の校舎建替えに伴い望海櫓は取壊し、鬼門櫓は中村家へ引き取られ移築された。
その内、二の丸に所在する徳永家に移築されていた裏門櫓(鐘櫓)が2000年(平成12年)に解体保存され、2010年(平成22年)に二の丸に移築復元された。
2013年(平成25年)には鬼門櫓が二の丸の町立萬里図書館(当時)の敷地内に移築復元された。
(出典元:Wikipedia)
裏門脇の石垣
上には鐘楼がある
天守台跡
層塔型三層天守が建っていたという
石垣
随所に石垣が遺っている
名称
- 日出城
別名
- 暘谷城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 木下延俊
主な城主
- 木下氏
築城年
- 1602年
江戸期石高
- 日出藩・木下氏(杉原氏流木下氏、のち豊臣氏流)3万石
遺構
- 移築櫓、移築門、天守台、曲輪、石垣、堀
所在地
- 大分県速見郡日出町
木下沢瀉
木下氏の家紋である