日本の100名城 002番
国の特別史跡

概要

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い。予算書時点から五稜郭の名称は用いられていたが、築造中は、亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とも呼ばれた。元は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ。五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。なお五稜郭は文化庁所管の国有財産であり、函館市が貸与を受け、函館市住宅都市施設公社(指定管理者)が管理している。
なお、「函館」は明治初頭まで「箱館」という文字が使われていた。

(出典元:Wikipedia)

五稜郭タワーからみた五稜郭

五稜郭タワーからみた五稜郭

中央部には函館奉行所がある

高石垣と内堀

石垣の上の庇は敵の侵入を防ぐ役目をもっている

函館奉行所(復元)

幕末の北辺警備と対外折衝の重責を担ったといわれる

名称

    • 五稜郭

別名

    • 亀田(御)役所土塁、柳野城

城郭構造

    • 稜堡式

築城主

    • 江戸幕府

主な城主

    • 江戸幕府

築城年

    • 1866年

遺構

    • 土塁、石垣、堀、兵糧庫

所在地

    • 北海道函館市