日本の100名城 019番
一万石以上の城
埼玉県史跡
概要
川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にある日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。
川越城は武蔵野台地の北東端に位置する平山城。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存する(埼玉県有形文化財)。かつての城は、現在の初雁公園から川越市役所に至る広さであった。大半は失われ、二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館、三の丸跡は埼玉県立川越高等学校となっているが、高校の南に、小高い丘の「富士見櫓」跡(埼玉県指定史跡)が残り、頂に御嶽神社と浅間神社が建っている。川越城には天守はなく、宇都宮城の清明台櫓と同様に、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守の代わりをしていた。富士見櫓は三層と考えられている。
中世から近世にかけて改築がなされ規模を大きく変えた。藩政時代には、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など、幕府の要職についた歴代藩主が多く、幕閣の老中数7名は全国でも最多の藩の1つであり、江戸時代中期までは「老中の居城」であった(中期以降は親藩)。
(出典元:Wikipedia)
本丸御殿
松平斉典時代に造営した本丸御殿
家老詰所
移築された家老詰所
家老詰所
家老詰所の中庭である
名称
- 川越城
別名
- 河越城、初雁城、霧隠城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 太田道真、太田道灌
主な城主
- 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、越前松平氏、他
築城年
- 1457年(長禄元年)
江戸期石高
- 川越藩17万石
(松平斉典期)
遺構
- 堀、土塁、御殿一部、移築物3棟
所在地
- 埼玉県川越市
葵紋(一例として)
葵紋は諸説が多数ある