日本の100名城 028番
一万石以上の城
国の重要文化財
概要
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。
(出典元:Wikipedia)
三の門
明和2年(1765年)に再建され現在に至る
天守台石垣
天守は寛永3年(1626年)に落雷により焼失した
城跡内の石垣
二の手前の屈折と石垣である
名称
- 小諸城
別名
- 酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 武田信玄
主な城主
- 武田氏、仙石氏、牧野氏など
築城年
- 1554年(天文23年)
江戸期石高
- 小諸藩・仙石氏5万石
遺構
- 大手門、三之門、天守台、石垣、空堀
所在地
- 長野県小諸市
武田菱
武田氏の家紋である