日本の100名城 031番
一万石以上の城
国の重要文化財
概要
新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市(越後国蒲原郡)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。
城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城であり、本丸を中心に北の古丸と南の二の丸で囲い、その南側に三の丸を配する構造であった。現在は本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が自衛隊駐屯地として利用され、本丸南側の石垣と堀、櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存。三階櫓や二重櫓の復元建築がある。現存建築がある城跡としては新潟県内では唯一である。また、石垣は本丸の表門側のみに前面乱積みの石垣がもちいられ、他は腰巻石垣や土居であったと考えられている。しかし寛文9(1669)年の大地震により、石垣が崩落しその復旧工事で、切込接布積に改められたとされる。
(出典元:Wikipedia)
復元された辰巳櫓
赤穂義士・堀部安兵衛の父親が管理責任者であったが火災発生の責任をとって浪人になったといわれている
本丸表門
現存する本丸表門である
復元された三階櫓
天守閣の代わりを果たした
名称
- 新発田城
別名
- 菖蒲城・舟形城
城郭構造
- 平城
築城主
- 新発田市
主な城主
- 新発田氏 溝口氏
築城年
- 不明
江戸期石高
- 新発田藩・溝口氏最終石高10万石
遺構
- 櫓、長屋、門、石垣、土塁、堀
所在地
- 新潟県新発田市
溝口菱
溝口氏の家紋である