日本の100名城 042番
一万石以上の城
国の重要文化財
概要
掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった日本の城である。
戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。
本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。現在は、1854年に倒壊した天守や大手門などの一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。城跡の整備が城下に至り、電柱の埋設など都市景観の配慮に及んだ。
(出典元:Wikipedia)
復元された天守
木造で復元された天守である
四足門
正保城地図を元に復元された
霧吹き井戸
井戸から霧が噴出し城を守ったとされる
名称
- 掛川城
別名
- 懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 朝比奈泰煕
主な城主
- 朝比奈氏、山内氏、太田氏、石川氏
築城年
- 文明年間(1469年〜1487年)
江戸期石高
- 掛川藩・小笠原氏6万石
遺構
- 二の丸御殿、太鼓櫓(移築)、大手門番所(移築)、石垣、土塁、堀
所在地
- 静岡県掛川市
丸に土佐柏
山内氏の家紋である