日本の100名城 046番
国の史跡
概要
長篠城(ながしのじょう)は、三河設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった日本の城。特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。
現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されている。
この地域の交通の要衝の地にあった。寒狭川(現在「豊川」と呼ばれているもの)と大野川(現在の宇連川)が合流する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、(南や東西方向については)二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞であった。
(▽状に)突き出した断崖の近く(やや西側、寒狭川寄り)に本丸を置いている。
長篠の戦いのころの構造について言うと、本丸のすぐ北側には堀が掘られ、その北側に二の丸、そのすぐ北側にまた堀が掘られていた。二の丸外側に三の丸、弾正曲輪などがあり、本丸の西側に服部曲輪があり、野牛曲輪なども築かれ、城域を北側を囲むように木柵が作られていた。川と断崖のおかげで南と東西の守りは堅かったが、北側は(台地状に)平地が広がっておりそのままでは守りが弱かったので、そちらにはしっかりとした堀が掘られていたのである。
南や東西から見れば断崖絶壁上の城であるが、北側から見た姿をもってして「平城」に分類されることもある。
(出典元:Wikipedia)
本丸跡
堀跡や土塁跡がいまも遺る
堀跡
現在は空堀となっている
土塁跡
堀の内側は土塁が施されている
名称
- 長篠城
別名
- 末広城、扇城
城郭構造
- 平城
築城主
- 菅沼元成
主な城主
- 菅沼氏、奥平氏
築城年
- 永正5年(1508年)
遺構
- 曲輪、土塁、空堀、石垣
所在地
- 愛知県新城市
奥平団扇
奥平氏の家紋である