日本の100名城 047番
一万石以上の城
国の史跡
概要
上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった日本の城(平山城)である。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。
伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館があるほか、伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
(出典元:Wikipedia)
復元された模擬天守閣
現在の天守閣は藤堂氏の天守台に昭和10年に建てられた
台所門西側の石垣
一部は筒井氏時代のものである
高石垣と水堀
藤堂氏時代に造られている
名称
- 上野城
別名
- 白鳳城、伊賀上野城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 筒井定次
主な城主
- 服部氏、仁木氏、筒井定次、脇坂安治、藤堂氏
築城年
- 天正13年(1585年)
江戸期石高
- 伊賀上野藩・筒井氏20万石
遺構
- 石垣、堀、武具蔵
所在地
- 三重県伊賀市
藤堂蔦
藤堂氏の家紋である